平成最後のお客さんを担当する前に時間が空いたのでなんとなく30年を振り返ってみた
こんにちは。
宇部市の美容室CASAです。
本日は平成最後の営業ということでApple Musicで平成ヒッツなるものを聞いております。
普段は西暦を使うので今が平成30年なのか31年なのかいまいち分からないままですが、まあそれもありなのかなって感じで新しい元号の令和を迎えそうです。この記事はiPhoneで書いてるのですが令和って一発で変換できないんですね。
余談はこれぐらいにして自分の人生の4分の3を占める平成を自分なりに振り返ってみようかなと思います。
昭和天皇崩御時は忘れもしない友達の誕生日で夜に誕生会の予定だったのですが友達のお父さんが「今日はテレビが全部内容変更するからビデオ借りに行くぞ」なんて機転を利かせたのを覚えてます。
それが小学6年ぐらいだったかな?
ここから平成になるのですが、中学生時代は先輩や後輩にプロを輩出するぐらいそこそこ強い学校でサッカーばかりしてました。
家で勉強することはあまりなかったのですが学校の授業は比較的よく聞いていたのでそこそこの成績はあり宇部高専に入学。
ここでもサッカーを始めるが1年生の秋ぐらいに説教してきた先輩に反旗をひるがえし退部。
4年生では留年も経験し、なんとか6年間で卒業後地元宇部の会社に就職。
ここでも若さと理想が暴走し、1年で退社。
この後1年間パチスロで生活。朝早く並んで閉店前にはデータ取ったり大変だったけど実際この時が一番金持ってたと思う。
まあでもこの生活をずっと続けるわけにもいかないので就職することを決意。
サラリーマンに戻るのはなんか無理っぽい気がしたので売り上げを上げれば歩合がつくという理由だけで美容師かホストの2択。宇部でホストはないなと思ったので何となく美容師に。
そんなこんなで美容師生活がスタートしたわけですが実際やってみると外から見てるのとはイメージが違うぐらいの肉体労働でした。
でも人と接したりいろんな技術を習得することが楽しくなり2年ぐらいでスタイリストになったかな。スタートした年齢が遅かったので周りの上司は年下ばかりだし自分でもそこそこ頑張ったと思う。まあ、要領がよかったのも功を奏したわけだが。
25、6歳で同級生の友人が独立オープンした店に移籍。8年ぐらい働いた後独立しCASAをオープン。
そしてなんとかかんとか8年間やってこれてます。
美容師になってから結婚して娘も生まれて父親が亡くなってといろんな出会いや別れもあったなー。
なんか色々思い出しても節目節目でいろんな友達や仲間に助けられてるなって印象が強い。
CASAをオープンするときも沢山の友達がいろんなことを手伝ってくれたし、大好きなサッカーが続けてられるのも仲間がいるからだし、ちょっと飲みたい気分のときも声をかけると集まってくれるし、ほんと人には恵まれてるなって思う。
綺麗事かもしれないけどもっともっと仕事をがんばって、みんなにどんな形になるかは分からないけど恩返しできるようになりたいな。
元号が変わることなんてそうそうないことなので皆さんも少しでも平成を振り返ってみるのも面白いですよ。
さて、夕方から平成最後のお客さんを切って今夜も飲みに行ってきます。
それではまた!